ことの始め      浦和電車区分会青年部全員で取り組んだハガキ行動をY君が拒否
2000年12月21日     Y君と青年部役員が話しあいをする
Y君 東労組脱退を意思表示、同時に他労組役員とキャンプに行ったと発言
28日     さらに東労組運動を否定する発言
        ・ボーナスの3・15ヵ月は出て当たり前
・国鉄改革なんて関係ない
・広域異動(国鉄改革時の施策のひとつ)で来たのは本人の勝手
     
-この発言の10分後、Y君携帯電話で上原分会長に電話-
      「軽はずみな言動があったことを謝罪する」
「脱退発言を撤回したい」
Y君 分会の仲間に謝罪      
2001年1月4日〜6日     Y君は分会の仲間に謝罪
        「前の職場で同じようなことがあった時、親身になってくれる人はなく、
無視された。浦電の職場は温かい職場だと思った」
     
-この集会を経て、Y君は同期の組合員と1泊のスキー旅行に参加-
Y君 謝罪から一転
ウソ発覚
       
1月19日     Y君から携帯電話で上原分会長に電話
        「会って話をしたい。これまでキャンプの経緯で説明してきたことはウソだった」
20日     Y君 上原分会長に謝罪文を手渡す
        「今回の件について、私は正直に話したかった。だけど脅しが怖かった。相談することも出来ず、ただGU(注「グリーンユニオン」という労組名)の言われるままにしか動けなかった」「私をここまで追い込んだGUを絶対に許しません」
21日     浦電分会 拡大闘争委員会を開催
     
-個別総対話を開催し、事実を組合員に訴えていくことを確認-
     
- 検察側主張のウソ1 -
平成13年1月21日、…大澗、山田、八ツ田らは拡大闘争委員会を開催し、
全分会組合員でY君を組合脱退、会社退職を迫る意志統一をし共謀を遂げた
(検察側冒頭陳述)
- 真 実 は -
大澗さんは役員ではないため、闘争委員会に参加していない
山田さん、八ツ田さんは勤務のため参加していない
 検察側はここで、Y君に組合脱退、会社退職を迫ることを確認、ここで本件の共謀が成立したとしています。しかしここで決めたことは事実を全組合員に明らかにしようということです。
またその場にいたとされた大澗、山田、八ツ田さんは参加していません。大澗さんは、拡大闘争委員会の参加メンバーではないため、参加していません。また山田さん、八ツ田さんは勤務のため、拡大闘争委員会に参加することは不可能です。
Y君 再び脱退発言 以降IC
レコーダーやりとりを録音
       
2月13日〜6日     ウソにウソを重ねるY君に対して事実解明のための集会を開催
Y君「東労組を辞めます」発言
     
- 検察側主張のウソ2 -
01年2月7日、午後3時すぎ、小黒らはY君を達示室通路で約一時間にわたって 取り囲んだ(検察側冒頭陳述)
- 真 実 は -
すれ違っただけで会話も交わしてはいない
 検察官冒頭陳述では「約一時間にわたって達示室内通路で被害者を取り囲み」と主張しています。しかしY君は第6回公判で「その場にいたんだから何か言ったような気がします」と証言しています。現に、小黒さんは通路でY君とすれ違ってはいますが、まったく会話をかわしてはいません。
     
- 検察側主張のウソ3 -
Y君が隠し録りしたテープの反訳のウソ
- 検察側反訳1 -
「お前が恨んでも一緒なんだよ」
- 本当に言っていること1 -
「お前が選んだ道なんだよ」
- 検察側反訳2 -
「責任とれよ」
- 本当に言っていること2 -
「(電車が)遅れているよ」
- 検察側反訳3 -
「ずっと最後まで続ける」
- 本当に言っていること3 -
「(電車が)4分半も遅れているんだ」
 このように意識的にテープを反訳することで、Y君への脅迫があったかのように検察側は描き出しています。聞き直せばわかる誤りをあえて証拠として出すという、文字通りのデッチ上げを行い、なんとか本件を事件に仕立て上げようとした検察の意図が逆に透けてみえてきます。またICY君は「怒れ、うんと怒れ。馬鹿なんだから…」などと意識的に挑発しつつ盗み録りをしていたのです。
Y君 東労組脱退        
2月28日     Y君 脱退届けを提出。この後、Y君3月1・2日年休(2月17日申込み)3日(特休)4日公休で休みをとる
     
- 検察側主張のウソ4 -
01年2月28日、Y君が脱退届を出した場に齊藤さんがいた
(警視庁公安二課作成・調書)
- 真 実 は -
その時、齊藤さんは大船─蒲田間を運転中
 2月の勤務指定表(検察側提出証拠)で齊藤さんの28日の勤務は「平11行路」。この行路では、ちょうどY君が脱退届を書いたとされる時間は、大船ー蒲田間を運転中です。警視庁公安二課作成の調書でその場にいたとなっているのは、取り調べの際、怒鳴られたりする恐怖の中で齊藤さんが言われるままに調書をつくったためです。
     
- 検察側主張のウソ5 -
「Y君は2月28日以降の被告人らの言動から、今後も勤務していると
JR東労組組合員から脅迫されるという恐怖感から、
平成14年3月1日から4日まで休んだ」(起訴状より)
- 真 実 は -
平成14年3月1・2日はY君が2月17日にあらかじめ申し込んであった
年休3・4日は所定の特休、公休であることは勤務指定表で一目瞭然
 検察側はJR東労組組合員がY君を脅していたということを印象づけるために、あたかも恐怖感からY君が会社を休んだかのように描き出しています。
しかし実際には、以前からY君自身が申し込んでいた休みと所定の休みが重なったにすぎません。
Y君 JR東日本会社退職        
3月24日     Y君、区長と面談
7月13日     退職希望を意思表示
31日     Y君退職願いを提出 Y君退職
     
- 検察側主張のウソ6 -
01年3月11日、小黒、齊藤、山田でY君を取り囲んで退職を迫った
(検察側冒頭陳述)
- 真 実 は -
乗務交替などで、3名が同じ場所にいることは不可能
いない3名がどうして取り囲めるのか
 検察側冒頭陳述やY君の証言によると、この日、3名でY君を取り囲んで退職を迫ったとあります。
しかし小黒、齊藤両君はJR南浦和駅で乗務交代し、(18時22分すぎ)齊藤さんはここで乗務を降り、小黒さんは乗務に入りました。したがって「3人で取り囲む」ことなど出来ません。
公安二課 捜査始める        
12月21日     捜査はすでに始まっていた
(第2回公判・公安警部が証言)
公安二課がY君に接触        
2002年1月     公安二課刑事2人がY君宅を訪問。
以降、Y君は数回にわたって警視庁を訪問(第6回公判・Y君証言)
Y君 被害届提出        
2月11日     Y君 警視庁に「被害届」と、盗み録りしたテープを提出。しかし「被害届」を書いたのは公安刑事でY君はサイン・押印したのみ。内容を答えることもできない。
(第6回公判・Y君証言)
     
- 被害届から約10ヵ月間、一回の事情聴取もない-
突然の家宅捜索・逮捕        
11月1日     警視庁公安部、64箇所家宅捜索・押収品1096点
7名逮捕 この後、344日間勾留された
   
ふつうの組合活動はこうして「強要罪」に仕立て上げられたのです!

検察・警察の嘘で作り上げられた事件なのです
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